目次
mazmoto blogについて
このブログでは、基本的に私がみんなにシェアしたい情報や自分の考えなどを発信しています。
主に発信していること
今や人生100年時代。
一つの会社で働き続けるというよりも、複業にせよ完全独立にせよ、個人で稼ぐ力が今後ますます求められていきます。
仕事を通しての自己実現に興味があるので、そういったことを中心に発信しています。
ブログを始めたきっかけ
「へ~!モノ知りだねっ!!」と言われることが多いです。
キャリアが少し変わっていて、いくつか職種を経験しているせいかもしれません。
自分も教えたがりな性格なので、だったらブログで公開してしまったほうが多くの人に伝えられると思ったのがはじたきっかけです。
ブログを書いている松本ダイスケについて
松本ダイスケはこんな思想の持ち主です
仕事によって人は磨かれる
「働く」と「生きる」がリンクしている生き方が理想です。「働く」=「生きる」。
本気で汗と涙を流しながらやる仕事でこそ、人間的な成長があると思っています。一緒に戦った同僚は一生付き合える友人ですね。
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【書評】「生き方―人間として一番大切なこと」はまずはとりあえず読もうか
日本人全員が夢を語れたらいいよね
「夢って何ですか?」と聞いたら即答できるくらい、何かに没頭できていたら楽しくないですか?
例えば、高校球児に聞いたら「甲子園優勝です!!」っていう感じ。
中国の巨大企業のアリババ創業者のジャック・マーの言葉が好きです。
決して夢を諦めないで下さい。
多くの人は目で見てから信じます。
しかし真の起業家やリーダーは信じたものを見ることができるんです。
未来を信じることで、その望む未来を想像するんです。引用:ジャック・マー(アリババ社(阿里巴巴集団)の創業者)
みんなが夢を持ったら日本がどうなるかを記事にまとめました。
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夢のティッピング・ポイント
松本ダイスケは奈良を愛していますが東京に住んでいます
学生時代までは関西にいましたが、テレビっ子でミーハーなところがあるので東京に来たいとずっと思っていました。
仕事は東京がやりやすい
今でこそ職種によっては場所を選ばない働き方ができますが、私の場合は広告業なので東京が一番仕事しやすいです。新しい情報も取りやすいですし。
将来的には奈良に旅館をつくる予定です
奈良の北部には東大寺、興福寺、春日大社、法隆寺など観光地が盛りだくさん。
あまり知られていませんが、南部にも素敵なところがたくさんあります。
奈良県南部をゆっくりと観光できるように旅館をつくります。興味ある方はご連絡ください。
松本ダイスケはこんなコトをしています
コーチング
割と本気で世の中を良くしたいと思っていて、そのためには人材=人財と言われるように、自分自身を含めてみんなが生き生きと毎日を過ごしていることが大切だと思っています。
どうすれば生き生きとした毎日を過ごせるかというと、自分の今までの人生を振り返ってみると、何か夢や目標に向かって挑戦しているときにすごく充実感を感じられますし、多くの人がそうではないでしょうか。
コーチとしてクライアントの目標設定や達成のサポートをすることで、自己実現する人が増え、それによって世の中が活性化すると信じてコーチングをやっています。
コーチングのテーマとしては、起業や働き方やパフォーマンスアップなどで、ビジネス領域のコーチングを行っています。
映像制作(カメラマン&レタッチャー)
カメラマンは想像つくと思いますが、レタッチャーっていう仕事を初めて聞く人も多いと思います。
レタッチャーというのはレタッチする人のことで、Photoshopなどのソフトを使って写真にプラスαの要素を入れる仕事です。例えば、合成したり修正したり。みなさんの見る広告物でレタッチャーが関わらないものはほぼないんじゃないでしょうか。
下手な人がレタッチすると不自然な感じになるのですぐバレます。
松本ダイスケが好きなもの
好きな映画
最近はあまり映画を観れていませんが、学生の頃は年間300本ぐらい観てました。
その中で特によかったのが…
好きなカメラマン
競争意識が強いので現役のカメラマンよりも偉大な先輩方が好きです。
好きな漫画
漫画は人生の教科書。今でも生活の中の楽しみの1つです。
- スラムダンク
- キングダム
- サラリーマン金太郎
- 宇宙兄弟
- NARUTO
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【マンガは人生の教科書】普段読まない人にもオススメしたいマンガたち
松本ダイスケの経歴
奈良県生まれ奈良県育ち
東大寺から車で20分ほどの生駒市の住宅地で育ちました。
生駒市高山町は茶筅で有名。全国シェアの90%以上を持っています。
松下奈緒さんや三木道三さんの出身地でもあります。
小学校時代
- 蹴り天(天大中小を足でやるバージョン)とドッジボールにハマる
- 地元の少年野球のチームに入ってのびのびと過ごす
- 近所の天才少年の影響で中学受験。失敗して地元の中学に進学
中学受験まではのんびりとした小学校生活をしていました。競争意識が強いせいか、小6から大学受験が終わるまでは受験が一番のテーマでした。
中学時代
- 陸上部に入り県大会に出場するぐらい頑張る
- 中学受験に失敗したのが悔しかったので塾に通って割と真面目に勉強をしていた
- 準備して臨んだ高校受験で第一志望が不合格。第二志望の公立トップの高校に進学
地元で有名な進学塾に通っていました。塾生同士が仲良かったので塾には勉強というよりも遊びに行っている感覚でした。
高校時代
- テニス部に入るも青春らしいことは特になし
- 東大寺が徒歩圏内の高校だったので散歩しているうちに奈良が好きに
- 受験で大阪大学を受けるも不合格。滑り止めで受けた大阪府立大学に進学
進学校に進んだせいか、周りと成績を比較して苦しかった時代です。そんな時に東大寺とか興福寺を散歩しながらボーッとしているのが癒しでした。
一回目の大学時代
- 中・高・大学受験の全てで第一志望に落ちていたのでどうしても再受験したかった
- 親に相談すると再受験オッケー。正々堂々と大学を辞めて浪人しなさいとのこと
- 大阪府立大学は二ヶ月で中退して浪人生活へ
友人が国立大学に行っているのに自分が狙っていたのに行けなかったことが悔しくて再受験することに。周囲と比較したり周りの目を気にしていたんですね。今思えば視野が狭かったと思いますが、当時は真剣でした。
入学金と学費を払っていたのに再受験させてくれた親には本当に感謝しかないです。
浪人時代
- 一年間、睡眠時間以外は勉強する生活
- 模試の成績が良かったので第一志望を京都大学に変えたところまたも不合格。
- 滑り止めで受けた大阪府立大学にまたも合格。
中退した大学に再入学することになり、色んな感情が湧いてきて自分でも笑えました。浪人生活を振り返ってみると、どの1日を取っても後悔しないぐらい勉強したのでやり切った感があり納得できました。
長い受験生活が終わって安心したのを覚えています。
二回目の大学時代
- 以前から写真に興味があったので写真部に入部
- 部室に泊まり込んで暗室作業をするなど自由気ままな生活
- 一回生で行ったタイ旅行で海外旅行にハマる
- 普段はバイトでお金を貯めて、長期休みに旅行をして写真を撮る生活
大学では写真と海外旅行と飲み会ばかりしていました。受験の反動でしょうか。サークルといった派手さはなく、工学部と写真部といった地味でグダグダな感じでしたが楽しかったです。
飛び級で大学院に!?
- 近所の奈良先端科学技術大学院大学という大学院しかない大学の存在を知る
- どうやら飛び級の試験に受かれば大学の4回生をスキップして入学できるとのこと
- オープンキャンパスに行ってみるとメチャクチャ面白い研究をしている
私の場合は1年浪人していたので1年遅れていました。飛び級すればトントンになるのでダメ元で受けてみようと思って受けたら受かりました(笑)私の場合は気負わず気楽に行動するのが成功の秘訣かもしれません。
3回生が終わった時点で再び大阪府立大学を中退して大学院に進学することになりました。大阪府立大学に2回入学して2回中退するっていうのも珍しですね。
大学院時代
- ドラえもんを作りたいと思っていたので、インターフェイスになる音声認識を専攻
- ロボットの実機を使いながら研究室生活
- 研究室の同期10人と朝から深夜まで研究
山奥の学校なので研究以外やることがないので、研究をするか飲み会をするかでした。
研究でお世話になったロボットはこの2体。
HRP-2は「機動警察パトレイバー」のメカデザインで有名な出渕裕さんが担当しただけに、漫画チックなデザインでカッコよかったです。
新卒SE時代
- 関西のインフラ会社のSEとして就職
- 愛知の自動車メーカーのプロジェクトメンバーとして送りこまれ基幹システムを開発
- カメラマン願望が芽生える
ITスキルを身につけておけば今後何をしても役に立つと思いSEになりました。
自動車メーカーの人やIBMやCTCなど社外の色んな人たちと仕事ができたのが良かったです。
ただこの先ずっと勤務時間の長いSEとして働くことがイメージできませんでした。もっと自由な働き方や好きなことを仕事にしたいと思ってカメラマンを目指すことにしました。
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プロのカメラマンになるには?コネ&経験なし27歳の【転職活動記録】
カメラマン&アシスタント時代
- 広告の写真スタジオに転職
- カメラマンアシスタントを経てカメラマンに
- レタッチは独学
大阪の広告の写真スタジオに入ってアシスタントを経てカメラマンに。
SEとは勝手が違って戸惑いましたが、ビジュアルを作る仕事は楽しかったです。
ただ、大阪だと仕事の幅にも限りがあったので広告の中心地で憧れていた東京に行くことにしました。
レタッチャー時代
- 一流の人たちとの仕事
- 自分のやった仕事がTVCMや雑誌広告に
- 仕事の予算が全然違う
撮影だけでなく、その後の工程のレタッチもできるようになりたいと思いレタッチカンパニーに転職。
憧れていた東京での仕事です。地方とは仕事の内容が全く違って、自分がやったCMがテレビに映ったり、渋谷のスクランブル交差点の看板に初めてのったときはメチャクチャ嬉しかったです。
独立してから
- フリーランスとして活動開始
- 自分の責任で仕事を受ける楽しさ
- スケジュールを自分で組める
いつかは自分で仕事をしたいと思っていました。フリーランスで活動している人と知り合うことも増えていって自分もそうなりたいと思い独立。
一か月で7桁稼げるようになったから笑い話になりますが、稼げなくてお金がない時期は一か月の食費が236円といった貧乏な生活も経験しました。
自分で仕事をするとなると会社員とは違った楽しさと大変さがありますが、自分に裁量権のあるフリーランスになって良かったと思います。
今後の展開は?
今後やりたいことをまとめてみると……
- コーチングのスキルを広めて自己実現する人を増やす
- 職人さんたちの仕事風景を写真におさめる
- 日本の伝統工芸の後継者問題を解決する
- 働くことと生きることがリンクしたような価値観を広める
- 奈良県の南部に旅館をつくる
- 海外に移住する
……とかいろいろあります。
まとめ
ここまで読んでくださりありがとうございました!
興味があることがあれば飛びつくタイプなのでどんどん情報発信をしていきます。
どうぞこれからよろしくお願いします!
SNSでメッセージやコメントをもらえるとすっごく嬉しいです。