こんばんは。松本大典です。
「遅刻」、おそらく多くの人が学生の頃にしたことがあると思います。
もし、約束していた時間に相手が遅刻した場合、あなたはどれぐらいだったら許せますか?
逆に自分が遅刻した場合、どれぐらいだったら許してもらえると思いますか?
遅刻の話をする前に、
そもそも時間というものに対して、どういった認識を持っているかが大事です。
時間は色んなものに価値変換できます。
例えば、誰かを喜ばすことに使えたり、大切な人と一緒に過ごしたり、自分に投資して能力を高めたり。
色んなものに価値変換できますが、時間は有限です。
一分一秒の積み重ねが人生をつくっていきます。
つまるところ、「時間」=「命」。
その命の時間を使って、僕たちは毎日生活していて、色んな価値を生み出しています。
ただし、時間は一度損失すると二度と取り返すことができません。
時間を使ってお金は作れますが、お金を使って時間は取り戻せません。
言わば、時間から生み出す価値は「片道切符」。
この時間をどこに分配するかで、人生は大きく変わってきます。
話を戻すと、遅刻とは相手の時間を奪うこと、つまり、相手の命を奪うこと。
言ってしまえば、犯罪です。
現行法で裁かれることはないですが、殺人的行為です。
さらに、遅刻には一分遅刻と一時間遅刻があります。
どちらがタチが悪いかとうと一分遅刻のほうが圧倒的にタチが悪い。
一時間遅刻の場合、交通機関がマヒしたなど、不可抗力的な場合が多いです。
遅刻は遅刻なので、それを見越した上での行動が大事ですが、やむを得ないことが多いです。
ただし、一分遅刻の場合は事情が全く違っていて、相手を軽く見ている証拠です。
約束していた相手のことよりも、自分の都合を優先させた結果、数分遅刻するということになります。
約束した相手も、死に向かって一分一秒向かっています。
その相手の時間を軽んじた結果が一分遅刻です。
心の在り方として問題ありですね。
自分が一分遅刻をしないのはもちろんですが、一分遅刻をする人とは距離を取ったほうがいいです。
事前に連絡すれば大丈夫と勘違いしている人がいますが、あくまで勘違いです。
「一分ぐらいの遅刻で大げさな」と言って不快感を表す人は、そもそも相手への敬意であったり、素直さに欠けています。
時間をどれだけ大事にしているかで、その人の人生に対する真剣さが伺えます。
時間は有限、一分一秒の積み重ねが人生をつくっていきます。
時間は大事にしたいですね。