空気を読むのが得意な人もいれば苦手な人もいます。あえて空気を読まない人もいますしね(笑)
空気を読むことが美徳とされていますが、本当にそうでしょうか?
そこでこの記事では、空気を読むことと、読むことで自分の行動に制約を加えてしまって折角のチャンスを失っていることについて書きます。
具体的には次の順番にご紹介していきます。
- 誰のために空気を読んでる?
- 空気を読むことでチャンスを失っていることも…
3分くらいで読めるので、空気を読みすぎている方は、まずはご一読を!
空気を読むって誰のため?
アメリカみたいな多民族国家は、価値観や宗教が人によって大きく違うので、思っていることをちゃんと言葉にしないとコミュニケーションギャップが生まれます。だから口に出してしっかり主張する文化があるわけですね。
日本は単一民族ですし、価値観や宗教観もだいたい同じ。それに島国でもあるので、いちいち口に出して問題を起こすよりも、言葉にしなくても状況を把握して自分がどう動いたらいいかを察する文化があります。
日本では空気を読むことが美徳であると考えられていますが、実際のところは本当に美徳なのでしょうか?
空気を読む理由は2つあります。それは「相手への配慮」と「周囲への同調」の2パターン。
「相手への配慮」で空気を読むことは美徳ですよね。
例えば、送別会を考えてみましょう。主役は送り出される人。いくら話が上手な人でも主役を差し置いて自分ばかり話していると空気が読めてないですよね。
「相手への配慮」があって、自分がどう動いたらいいかを察することは人として魅力的と言えるでしょう。
空気を読むもう一つのパターンが「周囲への同調」
本当は周りに合わせる必要もないのに、空気を読んで同調してしまうことがあります。
例えば、学校現場で見られる「いじめ」
もともといじめるつもりはなかったのに、周りがいじめているから自分もいじめに参加する。参加しないと自分がいじめられるかもしれない…
こういった場合は、「相手への配慮」といったことではなく自己防衛のための「周囲への同調」でしょう。
空気を読むこと自体が美徳なわけではなく、誰のために何のために空気を読んでいるかが大切なわけです。
空気を読むことは「暗黙の了解に従って動く」こと
空気を読むということは雰囲気を読んで動くということ。
つまり、口にしなくても状況から判断して妥当であると思える暗黙の了解に従って動くということです。
この暗黙の了解に従って動くを言い換えると、自分の行動をどこまで自主的に規制するか。
自分の思うがままに行動しているのは単なるワガママですよね。そのワガママを自分で規制するわけです。
この自主規制をすることで空気が読んでいるわけですが、自主規制もどの程度するかが大切。
「あれもダメ、これもダメ」といったように何でもかんでも自主規制してると息苦しいですよね。
それに、本音を隠して生きていると、周りから見てる人は「この人って本当は何を考えてるんだろう…」と思ったりします。
自己開示して本音で付き合うからこそ生まれる人間関係があります。
例えば、「最強のふたり」っていう映画は観ましたか?
2011年に公開されたフランス映画で、日本で公開されたフランス映画の中では一番の興行収入を出した映画なのでご覧になった人も多いのでは?
頸髄損傷が原因でが不自由な富豪フィリップと、その介護人となった貧困層の移民の若者ドリスとの交流を、実話をベースに描いたヒューマンドラマです。
普通は障害を持っている人には配慮を持った対応をしますが、障害を持っている人からすると対等に付き合ってくれないと映ることがあるそうです。
それをドリスはブラックジョークを交えながらフィリップと本音の交流するので、2人の信頼関係が深まっていきます。
空気を読みすぎると、当たり障りのない一辺倒な行動になりがちです。
ときには空気を読まない、自主規制を緩くすることも大切なわけですね。
まとめ
この記事では次のことを書きました。
- 空気を読む理由は「相手への配慮」と「周囲への同調」
- 空気を読むこと自体が美徳ではなく、「相手への配慮」が美徳。
- 空気を読むことで自分に規制を加えて行動を制約してしまっていることがある。
空気は読めるほうがいいと思われていますが、大事なのは時と場合に合わせて空気を読むということ。
何でもかんでも空気を読んでいると、主体性がなくなり窮屈な人生になりますし、逆に相手を傷つけたりすることがあります。
より良い人間関係を築くためにも、空気を読みつつ、時には空気を読まないといった行動を取れたらいいですね。
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