仕事をしていても、生活をしていても、何かの拍子で相手にイラッっとすることはないですか?
イラッとするのも相手に落ち度があるのが原因かもしれませんが、それを許すことも心の余裕があればこそ。
そこでこの記事では、どこまで許せるかがその人の器の大きさであることについて書きます。
許せないのは未熟だから
相手に合わせて自分も反応していては、かなり衝突が起きると思います。
相手が嫌なことをしてきたら、自分も反撃する。
子供の喧嘩を見ているとわかりやすいのですが、ある子供が喧嘩をふっかけたりオモチャを独り占めしようとすると、相手もそれに反応して反撃に出ます。
精神的に未熟だからこそ、相手の出方に応じで、それ以上のレベルで反撃しようとするわけです。
未熟であればあるほど、許すという行為から離れているんですね。
実力がないのに許すのは虐げられるだけ
ただし、一方的に許してばかりいていいのかというと、それもいいことではありません。
ガンジーの言葉に気付きがあるので引用しますね。
わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている。しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。
マハトマ・ガンジー
許すということには、勇気と力がいる。
そして、許すことができるのは、相手を懲らしめることができる人だけができるということ。
つまりは、相手に対して実力行使を行えないレベルだと、許すという選択肢はないということですね。
実力がないにも関わらずに許すというのは、卑屈な印象を与えて相手をさらに調子づかせてしまうかもしれませんしね。
許すためにも実力を付ける必要があります。
どこまで許せるかがその人の器の大きさ
未熟だとすぐに反応して怒ってしまいますし、実力もないのに許してばかりいると虐げられるだけです。
あくまで自分に相手を罰する能力があるときにだけ、許すという行為ができます。
では、その場合にどこまで許すのか?
器が小さければ、些細なことでも相手を責めてしまいますし、人生経験が豊富で成熟した人であれば簡単には怒らず許すことができそうですよね。
相手をどこまで許せるか、その許せる範囲がその人の器なわけです。
まとめ
この記事では、どこまで許せるかがその人の器の大きさであることについて書きました。
器の小さい人間は、小さなことでも相手の行動に反応して怒りをぶつけますし、器の大きな人であれば簡単には怒りを爆発させずに許すという行為を選択することもできるでしょう。
器が大きければ許す範囲も大きくなりますし、どこまで許すことができるかがその人の器の大きさなわけですね。